父が肺がん宣告から三ヶ月で他界し、父の会社(建材業)を手伝っていた私が事業を継承することになったのは十五年前でした。亡くなる一週間前に十センチ×十五センチのくしゃくしゃのメモを父から渡されました。メモに書かれていたのは、父からのお願いでした。母を頼むということ、会社を三年だけ継承してほしいということ、お葬式のこと、相続のこと、最後に感謝の言葉でした。
私が、会社は絶対に継がないと言っていたので、父は三年だけと書いたのだと思います。この三年間でしてほしいこととして、従業員が職にあぶれることがないよう彼らのことを第一に考えてほしい、それができるなら会社をたたんでもいいとのことでした。幸美がそのまま継承するもよし、他者に売るもよし、従業員が転職したいなら、そのお世話をしてほしいという内容でした。これを読んだとき、父はどれだけ従業員のことを考え、会社を大切に思っていたのかが分かり、父に「分かった」と約束をしました。それからの三年間は、経営者として会社を守る、従業員を守ることだけを考えた日々でした。短い間でしたが、いろいろなことがありました。
二年が経ったある日、会社に人相の悪い二人の男性がやってきました。リーマンショックの後で、軽油の急な高騰があり、運送業界にとっては死活問題の大ダメージを受けている時期でした。その二人の男性は、自分のスタンドで軽油を入れてくれと勧誘してきました。父が健在だった頃からちょくちょく来ていた人たちでしたが、父が亡くなる直前、面会謝絶になってもお構いなく病室に来て勧誘するような人たちでした。絶対にこの人たちとは取引はしないと決めていました。
彼らは、「この話を断るのですね。娘さんをよく見といたほうがいいですよ」と娘の名前をあげて帰っていきました。何でこの人たちは、娘の名前を知っているの?よく見ておいたほうがいいよとは、どういうこと?と思った瞬間ぞっとして、私は娘たちを守らなきゃ!怖い!と思いました。そのとき、私は経営者ではなく、一人の母親になっていました。こういう話が多い業界だから嫌だった!もう続けていられない!と思い、母にすぐさまそのことを話しました。そして、会社を辞めることを承諾してもらいました。私は、会社や従業員のこれからを第一に考えて事業を継承してくれる方に会社を売却しました。そして、私自身も会社を退いたのです。
退社をしてからの日々は、子育てオンリーでした。その頃は、長女が五歳、次女が二歳になったばかりで、一番手のかかる頃でした。次女が生まれてから、長女の爪かみが始まりました。「私への当てつけか?しょうがないじゃん、次女はまだ何もできないし手がかかるんだから……」と心の中で言い訳をしながら、長女のかまってほしいというサインを無視していました。「何で、私ばっかり責任を負わなきゃいけないの?旦那がいない間に何かあったら私のせいになる。そんなの嫌だ!」と思いながら、長女には強く厳しく当たっていました。「子育ては私に向いていない。仕事のほうがよっぽど楽しい。これからどうすればいいの?」と、毎日悶々と過ごしていました。私は、この先どうなってしまうんだろうという不安と、自分の居場所が分からない自分自身への怒りでいっぱいだったのです。
そのようなとき、久しぶりにママ友の集まりに参加しました。その中で、今の自分の状況を話していると、一人のママ友から「コーチングって知ってる?」と聞かれました。私が「知ってる。『子育てコーチング』って本を読んだ!」と答えたら、「私の友達がコーチをやっているの。一度話を聴いてもらったら?無料で体験できるみたいだから」と教えてくれました。私は、その日のうちにパソコンで検索してコーチングの申し込みをしました。するとすぐに担当コーチから連絡が入り、電話でのセッションを受けることが決まりました。
セッション当日、電話の向こうから、落ち着いた女性の声で「丹羽幸美さんですか?コーチングセッションのご予約をありがとうございました」という声が聞こえてきました。
「まずは、なぜこのセッションを受けようと思ったのかを教えていただいていいですか?」
「はい、今、自分が何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、分からなくなっているので、友達からコーチを紹介されました。コーチに話したらこの状況が変わるかもしれないという期待感からお願いしました」
そのような会話から始まり、会社を辞めたこと、子育てのことなど今の状況を話していきました。
コーチは、相槌を入れながら私の話を真剣に聴いてくれました。そして、私が話し終わったときに一言、「すごく頑張ってきたのですね」と言ってくれました。そんな言葉を今まで誰からもかけられたことがなかったので驚きました。同時に体が熱くなり、下の方から込み上げるものがあり涙があふれ出てきました。「はい、頑張ってきました」と答えた途端、嗚咽になり、コーチに聞こえないように受話器に手を当てて泣いてしまいました。その間も、コーチは何も言わずに待っていてくれて、私が落ち着いたところで、もう一度「本当に頑張ってきたのですね。尊敬します」と言ってくれました。私は、体の力がどんどん抜けていくのを感じました。この人は私を分かってくれる、この人にこれからのことを話したいと思い、コーチングの契約をすることを決めました。