ストーリー小説で学べる女性のためのセルフコーチング

本書の読みどころ

認知科学に基づくセルフコーチングの用語や実践方法を、小説形式で分かりやすく解説しています。
ストーリー調なのでスラスラと読める上、いつのまにかセルフコーチングを学べている良書です。

【あらすじ】
地味で目立たないアルバイト店員・吉川美穂(27)は、出雲大社の近くにある喫茶店「スマイルコーヒー」で働いている。
奥手で内気な自分に自信が持てず、それでも平凡でささやかな日々を送っていた。
そんな中、店長が倒れて事態は急展開。スマイルコーヒーが廃業の危機に見舞われる。
美穂は店長代理になり奮闘するも、その頑張りとは裏腹に、業績は悪化の一途をたどる。
おまけに、一癖も二癖もある同僚との関係で、あくせくする日々を送る羽目に。

しかし、ある縁によって出会った男性の言葉が美穂の運命を変え、やがてそれが幸せを掴む手掛かりとなっていく――

著者紹介

“女性は現実的”の真逆をいけば上手くいく!
小説で学ぶ女子のセルフコーチング入門

斎藤 貴志(さいとう たかし)

島根県立大学卒業
Mind Resque Coaching代表
コーチングスクールを卒業後、経営者、アスリート、会社員など多岐に渡る職業を対象にコーチングを実践。言葉を使わない非言語の技術に定評がある。
女性向けコーチング情報発信『頑張り女子の頑張らずに楽しくなる生き方入門』を運営。

ここで働きたい

しんと冷え込む山陰ならではの寒さが徐々に弱まり、温かみをおびた風が心地良く感じられる三月。卒業して次の道に進もうとする学生たちの多くが、思い出を作るためにこの地に集い、カフェ『スマイルコーヒー』に立ち寄る。

吉川美穂が働くスマイルコーヒーは、縁結びの神様として有名な出雲大社が鎮座する島根県出雲市にある。スマイルコーヒーの面する路地から大通りに出れば、歩いて七分で出雲大社の大鳥居に行き着く。

「ご注文はいかがなさいますか?」
美穂は、つい先日までは女子大生だったと思われるグループに声をかける。卒業旅行として出雲大社へ参拝に来たのがうかがえる。
女の子たちは夢中になっていた恋愛話をいったん止めて、
「カフェラテをください」
「わたしはスマイルコーヒーブレンドを」
「あっ、本日のスイーツもお願いします」
と、明るく弾んだ声で返した。
注文を一とおり終えると、女の子たちは体を前のめりにしながら、再び恋バナに没頭した。
美穂はそんな楽しそうな女の子たちの姿を横目に、
「わたしがちょうどあの子たちと同い年くらいのころは」
と、これまでの出来事を回想した。

美穂は高校を卒業後、大阪の会社で事務員として働いていた。事務職を選んだのはおとなしい自分に向いている仕事だと思ったからだ。ただ、地元には事務職の求人がなかったので、学校に求人がきていた大阪の会社に申し込むことにした。
いつもは消極的な美穂でも都会への憧れがあり、一度は県外に出てみたいと思っていた。もちろん親元を離れてやっていけるのだろうかという不安もあったが、中学校の修学旅行で訪れ、(美穂にとっては)都会過ぎて度肝を抜かれた大阪に行ってみたいという気持ちのほうが強かった。

大阪では五年ほど働いたが、ちょうど今と同じ梅の花が見ごろとなる時期に会社を辞めて、出雲市の隣町にある実家に帰ってきた。やはり、美穂の気性と大阪の気風は合わなかったのだ。修学旅行で観光客として訪れた大阪と、実際に働いて生活をしていく大阪は違っていた。同級生の中にも一度は都会に出てみたものの戻ってきたという者が多かった。

実家に舞い戻ってきたものの、これといってやりたいことがなかった。だからと言って、実家にこもっていても面白いことはなく、くつろぐこともできなかった。
「早く次の就職先を探しなさい、でなきゃ早く結婚相手を見つけなさい」
と、母から毎日くどくど言われて気が滅入っていた。しかも、中古とはいえ田舎では必需品の車を買ってしまったために、会社員時代にコツコツ貯めた貯金も減ってしまった。
当初は再就職活動にも身が入らなかったが、母の小言が疎ましく、車の件もあって働かないわけにはいかなくなり、短期や単発のアルバイトをしながら生活することになった。

そんなおり、久しぶりに高校時代の同級生と会うことになり、待ち合わせ場所に指定されたのがスマイルコーヒーだった。同級生とどんな話をしたのかは忘れてしまったが、スマイルコーヒーの雰囲気に魅了されたことを美穂は今でも鮮明に覚えている。周囲に日本風の家屋が立ち並ぶ通りで、そこだけ洋風な佇まいだった。開放的な窓から太陽の光が差しこむと、店内から見える古いだけの日本家屋が、まるで魔法にかかったようにレトロでお洒落な古民家に映った。

すぐにスマイルコーヒーを気に入り、三日に一度くらいのペースで訪れるようになったが、最初はコーヒーではなく紅茶やソフトドリンクを頼んでいた。
美穂はコーヒーが苦手だった。大阪での会社員時代も、来客にコーヒーをだすことはあっても、美穂自身は口にすることはなかった。
子どものころに飲んだコーヒーの苦さがどうしても記憶から消えなかったのだ。自動販売機で売られている、砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒー飲料はまだよかったが、ブラックコーヒーは見ただけでも、幼いころに味わった苦さが口の中によみがえるのだった。

けれども、しばらくスマイルコーヒーに通っているうちに、コーヒーを頼んでみようかなという気持ちにかられた。以前から、カウンターで一人ブラックコーヒーを飲んでいる女性たちを見ながら、
「すごいなあ! なんだかかっこいいな」
と、触発されていたのだ。またちょうどその頃、情報誌などでコーヒーを特集している記事を頻繁に見かけることも後押しになった。
「わたしもコーヒーを頼んでみよう!」
ある日、期待に胸をふくらませながら、出口に一番近く日差しが良くあたるカウンターに腰かけた。曇り空の多い出雲では陽の光を柔らかく感じられることが多い。この時も刺さるような熱射ではなく、そのままカウンターでうたた寝でもできそうな、心地良い日差しだった。
〝本日のコーヒー〟をふくめてメニュー表には五種類くらいの名前がある。どれを注文していいのかわからない美穂は、おすすめを女性店員に尋ねることにした。
「あの、わたしコーヒーが苦手なんですが……わたしでも飲めそうなコーヒーありますか?」
「そうですね、〝本日のコーヒー〟はいかがでしょうか? 本日はエチオピア・グジ・ウオッシュドをおすすめしております。ジャスミンやレモンなどのフルーツを連想させる香りが口いっぱいに広がりますよ」
女性店員は丁寧に答えてくれた。
「じゃあ、それでお願いします」
女性店員はほほ笑み、カウンターの向こうにいる、四十代ぐらいの男性にオーダーを告げた。

やがて、白く美しい陶器のカップに入った一杯のコーヒーが運ばれてきた。少し赤みがかかり、表面が艶やかに輝いている。

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