自分の存在価値を見失っていませんか
あなたの周りの方は、あなたのことをなんと呼びますか?
「◯◯さん!」と、名前やアダ名で呼んでくれますか?
「あなた」であると識別できる「固有名詞」で呼んでもらうことで、自分の存在を確認することができます。日本人でしたら、「苗字」があって「名前」がありますね。少しかしこまった間柄であれば、家を表す「苗字」で呼ばれることが多いでしょう。そして、少し近しい間柄になると、「名前」で呼ばれたり、個人の特徴やエピソード、その人との関わりの中などで生まれた「アダ名」で呼ばれたりしますね。固有の呼び方で呼んでもらっていると、それだけで、自分が存在していることを感じることができます。
ライフサイクルの中で、例えば幼少期に、親の知り合いから「◯◯さんのお嬢さん」や「◯◯さんの息子さん」と呼ばれたりすることはありませんでしたか? 見知らぬ人から「お姉ちゃん」とか「お兄ちゃん」と呼ばれると、途端に、はっきりしていた輪郭が、ぼやけてしまうような感じがしませんでしたか?
「不特定多数の誰か」になった途端、「自分」としてのアイデンティティーが失われ、その環境では自己責任の概念が薄れてしまいます。それゆえに悪さをする人も、残念ながらいるのです。
成長するにつれて接する社会が広がり、その中でアイデンティティーを見失って、気持ちが揺らいだり、不安になってしまったりすることは、往々にしてあることです。
女性の場合、結婚して苗字が変わり、そして子供が生まれる……という生き方をする方がすくなからずいらっしゃいます。結婚して、いつしか、「◯◯さんの奥さん」や「△△ちゃんのママ」、といった呼び方をされるようになり、ついには自分の旦那さんからも
名前や愛称ではなくて、「おい」なんて呼ばれるようになってしまったり。
「一体、私の名前(アイデンティティー)はどこに行ってしまったの……?」
と、まるで、自分がどこかに置いてきぼりにされてしまったような感じがしてしまいませんか? 私に会いに来てくださる方の中にも、そういった悩みを口にされる方はすくなくありません。
昨今取り沙汰されている「夫婦別姓」の観念や、「結婚しない」という選択をする人が増えているのは、実のところはアイデンティティーを守りたい意識の表れなのかもしれません。
そうしたことがきっかけとなって、アイデンティティーを感じられずに、自分自身を見失ってしまうと、だんだんと、自分が幸せなのかどうか不安になりがちです。
家族のため、ご主人のため、子供たちのため、家庭のため……、はたまた、会社のた
めに尽くすことが私の生きがい……幸せ……と、心から信じ切っているのであれば、それも良いでしょう。
でも、「本当にそうだろうか……」「もっと私を見てほしい」、「自分が本当にやりたいことができていない……」、「私が、私でいることができない……」。そんな風に感じていませんか? 「自分自身」をそっちのけにしていませんか?