「問題を解決する」時にやるべき事は、
問題を解決する事より「問題が起きる『原因』を解決する」事だ

本書の読みどころ

『火傷火に懲りず』
問題を解決する事に気を取られて『原因』を解決しなければ、その問題は永遠に起き続ける。脳の中枢を破壊された動物は同じ所をクルクルと回り続ける。
あなたは今日も同じミスをした。その『原因』とは…

著者紹介

ブラック企業殲滅論
~『親と月夜はいつもよい』 助けてお母さん! ~

山﨑 大剛

1982生まれ、高知県出身、高校中退後上京。
バンド活動等音楽に携わる傍ら、カフェ・クラブ・レストラン・パチンコ店・スタジオ等様々な仕事を経験。
その経験を元に2016年冬、「ブラック企業殲滅論」の執筆を始める。
ダンスが好きだが下手。

「疲れない最短」と「疲れる最速」

仕事は「時間」が勝負だ。どれだけ短時間でできるかがパフォーマンスに関わっていることは現代社会では当たり前だ。
仕事にかかる時間をより短くする時、方法は2つある。
1つは単純に作業速度を速くすること。PCの操作速度を速くするとか、包丁で材料を切る速度を速くするとか、より短時間で目的地に着けるように乗り物の速度を速くすること等だ。
もう1つは、作業効率を上げること。PCソフト等を使い作業効率を上げるとか、どういう順番で材料を切っていけば効率が良いか優先順位をつけて調理するとか、車で行った方が早いか電車で行った方が早いかを調べて早い方に乗ることだ。
前者は「最速」を、後者は「最短」を表している。
仕事をしていると確かに区別しにくいが、両者は全く「異質なもの」であることをほとんどの人 が知らないのではないだろうか。
端的に言うと、
「最速」には速度が「いる」が、「最短」には速度は「いらない」。
「最速」には上限は「無い」が、「最短」には上限が「有る」。

「最速」のみを求めると、より速くより速くより速くという風に終わりが無い。どこまで速くしないといけないのか指針が見えないことになる。「最速」には文字通り「光の速さ」が求められるからだ。物理的に人間には不可能な速さを求めることになる。

逆に「最短」には速さは必要無い。なぜなら最短の時点ですでに早いからである。最短とは「これ以上短く(早く)できない」という意味だ。ならそれ以上早くはならない。よって「速さ」を求める必要は無い。

この「最速」と「最短」を『区別して捉えるようにすること』が現代社会には必要なのではないかと思う。
最速は身体能力や機械の限界を超えて速くする必要がある。そんなことは物理的に不可能だ。先に述べたように最速とは光速である。ジェット機や宇宙船でさえその速さには遠く及ばないし、人の力では不可能な速さである。(光速は超えられないという意味では上限は有るが)

最短は言い換えれば「手際が良い」ということ。どう動けばより短時間で作業が完結できるかを、取捨選択し実行する。そして、それ以上早くする必要は無い。その時点ですでに「最短」だからだ。

すでに「最短」にも関わらず、そこでさらに「不要な速さ」を求めている人がいる。その人は明らかに「最短」ではなく「最速」を求めてしまっているのだ。つまり、永遠に速くしていかなければならない。自分の身体の限界を超え、作業し続けることで最終的に身体を壊すのである。働き過ぎで命を落とす「過労死」とは、「最短」ではなく「最速」を求めた結果なのではないか。

それ以上速くする必要はないのに、「もっと速くしなきゃいけない」と思い込んで「最短」な上に、さらに「最速」を求めてしまうのだ。
頭が良く真面目な人ほどこれをやってしまう傾向にある。頭が良いからすぐに「最短」に辿り着 くことができる。どうすれば短時間でできるかがすぐに分かってしまう。
この時に、上司が「もっとはやくやれ」と言ってしまうのがまずい。部下からすれば「すでに『最短』なのに『これ以上早くしろとはどういうことだ?』」となる。でも真面目だからさらに早くするために「最速」を目指すのだ。

「最速」と「最短」の「区別がつかない上司」のせいで、頭が良く真面目な部下が潰れていくのである。

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